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哲学について考える

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うぇるちまんの一人語り
この記事は約2分で読めます。
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お久しぶりです。うぇるちまんです。

テスト勉強の休憩がてらブログ書きます。

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【哲学したい!】

最近、国語の授業で哲学の話を聞いていたらとても哲学をしたくなりました。

というわけでブログを書くことにしたんですが、何について哲学するかは今から決めます。

とりあえず哲学したい。

ついでにアロハシャツも着たい。

【「考える」について考える】

昔の偉い人が言いました。

「我思う、ゆえに我あり」

別の偉い人が言いました。

「人は考える葦である」

そしてアロハは言いました

「サアタマランサアタマラン ドウシヨウドウシヨウ」

哲学者の言うことはなんことやらさっぱりです。

とにかく彼らが言いたいのは、「考える」というのは人を人たらしめる行動であるということでしょう。

では、「考える」というのは一体何なんでしょうか。

例えば、英語の問題を出されたとき。

「自分の力で解くように」と先生から指示されたあなたはどのようにして問題を解きますか?

おそらく、今までに覚えた単語や文法をもとに英文を和訳、もしくは日本語を英訳するでしょう。

つまり、今までの記憶と参照することで問題を解いているのです。

これは一般的に「自分で考えている」と言えるでしょう。

しかし、成績不良の僕はそんなことはしません。

インターネットや電子辞書、ときには友人の脳みそを間借りして問題を解きます。

これは一般的に「自分で考えていない」と言えます。

なにかおかしいと思いませんか?

参照元が自分から外部へと変わるだけで考えてないことになるんです。

やってることは大して変わらないと思います。

暗記しているかどうかだけの違いです。

僕はこの記事のタイトルを「哲学について考える」としました。

つまり僕はこの記事を書きながら考えています。

それは何かと参照して劣化コピーを作り出す作業ではなく、客観的な事実をもとに推論しているのです。

僕はこれこそが「考える」という行為だと思います。

つまり僕が言いたいことは「テストを教科書持ち込み可にして欲しい」それだけです。

どうかご検討のほどよろしくお願いします。

あとがき

てんきゅーべりーまっち。はばないすでい。ぐっばい。

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