こんにちは、どうも、Mahimahiマネージャーでありんす。
記事タイトル、盛りすぎました。
本題に入ります。
私たちの学校、駅から遠いですよね?
徒歩でだいたい15分かかります。
自転車通学の人からするとどうでもいいと思いますが。👹
今回は駅から離れている理由を調べてみました。それではどうぞ。
京阪グラウンドと豊野駅
公立大高専僻地化のワケを語るために、時はおよそ100年前まで遡ります。
京阪電鉄は1921年、豊野町に、東京ドームと同じくらいの広さ一万五千坪の土地を手に入れ、京阪グラウンドと呼ばれる運動競技場を建てました。
現在は郵便局がある住宅地となっている場所です。
競技場には400mのトラックや200mのセパレートコース、テニスコートに野球場など、本格的な設備が用意されていました。
そしてそれに伴い最寄駅として運動場前駅が建設されました。
運動場前駅が建設された場所は、後述の航空写真を見るに、現在のセブンイレブンやニッポンレンタカー、道路を挟んで高架下の駐車場があるところ付近だと思います。
建設された陸上競技場はサッカー、ラグビーなどの試合にも利用され、1924年には「全国中等学校優勝野球大会大阪大会」という現在の甲子園の前身となる野球大会の大阪府大会も開催されていたそうであります。
当時の豊野町は賑わっていたでしょう。
しかし、時は進み、太平洋戦争中の1942年、競技場は利用率の低下により住宅地として売却。
競技場の終了に伴い、運動場前駅は豊野駅へと改名されることとなりました。
高専と豊野駅
戦後5年が経った1949年、大阪府立高専の前身となる大阪府立大学工業短期大学部が設立。
その後、高度経済成長期も真っ只中、1961年。
技術者の養成を目的に全国に高専が設立され始めます。
そしてついに1963年、大阪府立大学工業短期大学部の同敷地内に「大阪府立大学工業高等専門学校」(※通称府大高専)が設立されました。
ここで当時の航空写真を見てみましょう。
赤丸が高専、赤四角が豊野駅です。
現代の位置関係に置き換えてみると・・・
設立当時は学校から約650mの場所に駅がありました。
もし豊野駅が残っていれば徒歩8分程度で行けたようです。
しかしなぜ豊野駅はなくなってしまったのでしょうか。
それは寝屋川市駅の移設のためです。
今の寝屋川市駅は昔からあそこにあったわけではありませんでした。
京阪本線の起点駅が天満橋駅から淀屋橋まで延びた1963年に旧寝屋川市駅が京都寄りに移設された結果、現在の場所になったようです。
この際に豊野駅の駅機能が寝屋川市駅に吸収される形で豊野駅は廃駅となってしまったのです。
1963年5月15日の出来事でした。
残念です🙍♂️
まとめると、1963年に大阪府大高専が設立されたものの、同年5月寝屋川市駅の移設によって豊野駅が廃止されたことで高専から最寄り駅は遠のき、その結果、僻地化したのでした。
当時の高専生に豊野駅を利用できた人はいたのでしょうか。
いたとしても入学から一ヶ月で最寄駅廃止とは👀
おまけ(豆知識)
•京阪グラウンドは当時京阪電鉄社長の太田と大阪毎日新聞によって改装と選抜野球大会の誘致を計画したが経費・安全輸送の問題で運送課に反対され、昭和恐慌も重なり計画は白紙となった。
•↓資料を探していた際に見つけた豊野駅を利用していた人のブログより
駅の近くに「豊野劇場」という映画館があった。
http://paioniya.blog.jp/archives/52028912.html
中学1年の時に初めて観たエロ映画が「赤い殺意」。
(夜になると、あの、春川ますみの太腿が浮かんでシコシコ)
今でも、TVで春川ますみを観たら→赤い殺意。
ま~、シコシコはしないけどw
気分が悪くなりました。
•豊野駅の利用率は移設前の寝屋川市駅よりも高かった。
•寝屋川市駅は1963年に移設されたが高架化はされていなかった。(高架化開始1990年、京都方面高架1997年、高架完了2002年)
↓高架前の寝屋川市駅の様子が見れます。(19:45)
•府大高専初代校長は柴林穂
•摂南大学は大阪工業高等専門学校という、府大高専とは別の高専を改組するかたちで開設された。
•川を挟んだ高専横にある巨大団地は警察の待機宿舎。
※当ブログに掲載されている情報は2022年11月13日現在のものであり、万一これらの情報を利用して発生したユーザーの損害・紛争に対して、高専生の日常グループは一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
P.S.
ちなみに、公大高専移設先の中百舌鳥キャンパスも最寄り駅から徒歩約15分です。ドンマイ!!
応援よろしくお願いします。
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